2月の静岡の散策会で訪れた蒲原城。最近、思わぬ発見がありました。
1569年12月、武田信玄の駿河侵攻で、小田原北条氏の駿河の拠点蒲原城は、壮絶な戦いの末、落城。城将北条新三郎氏信をはじめとする城兵1千余が戦死しました。
その北条氏信の墓が、三島市の祐泉寺にある事を知りました。
祐泉寺は、1567年、氏信が創建。三嶋大社にほど近く、今は住宅に囲まれていますが、本堂の屋根には三つ鱗紋が金色に輝き、寺の由来を伝えています。
氏信の戒名は、「三光院殿孝誉良玄大居士」。蒲原城の本丸にあった大きな石碑には、「善福寺殿衝天良月大居士」とありました。
石碑に刻まれた内容は、摩耗して読みとれませんでしたが、大正5年北条一族150名余の有志により建立されたそうです。
善福寺は、蒲原城の北東にある寺で、氏信の位牌と江戸時代に描かれた肖像画が残されています。複数の戒名は、人々の鎮魂の気持ちの表れでしょうか。
さて、北条氏信の父は、幻庵宗哲。伊勢宗瑞(北条早雲)の末子です。五代氏直の代まで北条氏の長老として武略をもって主君を助け、文化人として高い教養を身につけていた人です。大河ドラマの主人公にぴったりだと思うのですが…
写真は、陽だまりの中の氏信の墓。左は氏信と共に戦死した弟、融深の墓と伝わっています。